欲望と感情は分けられないもの

ずーっと、つらつら、Webで見かける陽明学のテクストを見ていて、ふと気づいた。

欲望というものは、満たされない感じ。

…すなわち、穴に例えられることが多い。

それを埋めるために行動することで自分を取り巻く物事が悪化する可能性もある。

ゆえに、欲望とは、忌み嫌われがちである。こと、西洋思想においては特に…。

では、欲望という穴を放置していれば、人は気が済むのであろうか。 否。 

ところで、よくよく考えていると欲望の穴ぼこの大きさや位置(つまり、欲望の性質を)人は、
基本的に変更することができない(と、私は考えている)。

しかし、行動のじゃまになることがおおいので、望んだ形に変化させる。つまり、
自分の心を望み通りにコントロールしたいということになる。

ここで疑問に思うことがある。

欲望を満たした時や欲望がそのままの状態の時に「感じる」自分に人は耐えられない。

だから、感情と欲望とは、分けて考えられるものだが、ずいぶん密接に結びついたものではないか?

と、思うのである。

欲望のコントロールと感情のコントロールとは異なるようでだいぶ似ている。

コントロール対象になる時点でとても似ている。あとでよく考えてみよう。

(オチなし)

(Visited 5 times, 1 visits today)
このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーを Google ブックマーク に追加
[`yahoo` not found]
[`livedoor` not found]

欲望と感情は分けられないもの」への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.