私はキリスト教原理主義者なのか?堕胎を否定する説得について。

私はキリスト教原理主義者なのだろうか?

...もちろん主張の中身は違うから、ホワイトハウスの前でプラカードを掲げるキリスト原理主義とは違うのだが。

ただ、とある知人(知人と書くと冷たい印象をもたれるらしいですけど特に他意はありません)の堕胎を思い留まらせるために、時間が無いというのと、相手の様子をみながら語れぬ電話口であるということもあって、極端に走った説得を試みたせいか、堕胎を絶対悪にしてしまい、相手に「宗教やっている人なのか?」と思わせたのと、キリスト原理主義がそうであるように潔癖な思想が逆に不信感を生む結果となったのは、大失敗で反省すべき点だと思った...ということがあった。

私の倫理を説明するのは、私のプレゼン能力の無さからして難しいが、端的に言えば、レヴィナスの他者論を背景とする思想に根ざしている。しかし、これもまたベースが存在論ということもあってか、気持ち悪い宗教チックと思わせる剛力というか...知らない人からすると頑固な感じに受け止められてしまう...つまり、生命を肯定する倫理の論理を、神を支点にして行われるか自分を支点にして他者を語るかの違いであって、どっちもどっちキリスト原理主義とレヴィナスの他者論は共通してアクセプトできない人にとっては、とっても気持ち悪いんである!

というわけで、自分のキモさをきちんと理解した上で、ヒトとお話できるようになろうと思ったのでした。

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