日本の柔道ひいては講道館が腐ったのは敗戦のせい

日本柔道ひいては講道館が腐ったのは敗戦のせいらしい。

【参考】
講道館柔道中心史観のはじまりは敗戦後のGHQ対策にあり。「柔道はスポーツである」(昭和24年)。
inamasa.blogspot.jp/2014/04/blog-post_18.html

「JUDOは柔道じゃねー!」とはよく言われているが、それ以前に現代柔道は柔道じゃないということが最近わかってきた。嘉納治五郎も柔道をオリンピック種目にしたことを悔やんでいた。講道館と全柔連のべったりした関係。また講道館が柔術の道の中央集権的な団体になった。内柴事件はじめ綱紀粛正が乱れている(不倫は男女同罪の筈がそうならない)。さまざまな歴史的な要因によって、現在の武道精神が失われたスポーツ柔道の姿がある。どこでそうなったか?を1点定めるのは難しいし主観的になるのは否めないが、私は、私では、ひいては日本人が、どうしようもなかった歴史的な1点をその最もたるや理由としたい。

それは、太平洋戦争の敗北である。

柔道だけはなんとか残ったと思っていたが、どうやら残されなかったというよりも、柔道は敗戦によって腐敗せざるを得ない独占的な存在に成り下がる運命にあったと言った方が正しそうだ。今度は、スポーツ柔道になれ親しんだ世代からは、講道館柔道史観主義の批判はなかなかでてこないだろうから。。

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話は少し変わるが、私は常々空手を常々習おうと思っていた時があった。

だが、いろいろな人に話を聞いたところ、また諸流派のことを調べてみたが、指導者によって言っていることが違うということが分かった。理も自分の能力もはっきりせぬまま雲の中を突き進み自分を高めるのが武だと言うひともいる。だが、それはちょっと違うのではないかと思う。疑問を持たず色気を出さずただ黙々と成果がでるまで修練することは、武道において大切な心得と原則であるが、指導者のことを信じてわけもわからず教えに従えというのとは、まったく意味がことなる。合気道も神秘世界に閉じこもっている集団や個人が少なくないが、私はそれを快く思わない。誰もが学べば、相手や自分に強くなる。シンプルで技術と伝承が行われなければ自慰に等しい。

以前は、柔道には講道館がある。空手と違って、中央があるからこそまとまるのだと思っていた。空手家や合気家にそれぞれの言い分があるのはわかるが、それでも柔道は講道館があるのだ...とその中央集権組織の絶対視そして神聖視していた。だがそれは違う。

参考のリンクを見ればわかるように、講道館柔道の大頭について講道館は、講道館は柔術諸流派に勝ったと言っているが、ただ戦後にスポーツ化して免れただけだというのが、本当のところらしい。武士の精神修養手段としての柔術諸流派がもっとたくさん残っていたっていいはずだと思っていたが。GHQによって根絶されられた。なぜ当身ありの柔術がないのか?それは「たったひとつの単純な答えだ。

てめーはおれを怒らせたbyアメリカ

日本は敗戦国だからだ。

のんべんだらりと書いたが、結論

空手の有段者ほど空手団体や師範に対して冷めた見方をしている人がいる。同様に、柔道の有段者ほど柔道に冷めた見方をしている人がいる。

その冷ややかな目は組織に向けられているが、いやそうではない、わが国が敗戦していることにこそ向けられるべきなのだ。

空手のように諸流派が分派しすぎてもまとまれず大道を仰げない。
かと言って、柔道のように講道館が独占化しても腐敗する。
どちらも、同じ問題と、違う問題を、抱えているのだ。

木村政彦VS力道山とか眠いこと言っている場合じゃねえんじゃタココラ、
などと思ったこの頃でした。

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