頭がいいとは関係性と切断性のバランスがいいこと

あるAとあるBの関係性をつなげて、

広大なネットワークを頭のなかに構築することこそ、

頭がいいことだと思っている。

ただ、これではまだ定義として不十分だと思う。

関係性がないものを関係づけしすぎると、こんどは頭の中がリゾーム状態になる。

一見、それはニューラルネットワークを模したかのような、

理想的な関係性を描いているように見えるものの、

くっついてはいけないものをくっつけてしまうと、

こんどはそれが切り離せなくなるという問題もある。

学術用語の厳密な定義は無視するが、

トラウマを生じさせるPTSDとか呼ばれるものは、その典型的な例であり、

ある出来事と不快感が関係づけられてしまい一種の癒着みたいなものだが、

当人の中で収集がつかなくなってしまう。

(癒着と言ったのは、記憶の定着は生物が生存する機能であるが、
 それが日常で約立たない知識として再起が繰り返されると、
 支障をきたしてしまうことにしかならないということ)

そうなると、関係性づけることは、すべてよいことだとも言い切れない。

関係性の悪い例が極端なものになったが、その関係づけるということにもいいこととわるいことがあることだ。

よい関係性とは、よい切断性なのだ。

つなげるべきものはつなげて、つなげてならないものはつなげない、という概念関係構築のバランスがよいことが、

頭がいいというか、理想的な記憶の知識の状態なのだ。

論理的に考えることが頭がいいことだ…という言い方をするが、やはり、これも少し舌足らずなところがある気がする。

論理構造を組み替えても矛盾を生じないというが論理において大事であり、

すなわちそれは、論理を構成しているブロックの関係線を、切ったりつないだりすることができるか?ということだ。

ある物事の関係性を自分なりに整理できているか?ということだ。

そして、ここから教育論になる。

じゃあ、頭のなかに整理して入っている。

そのまま書き出すだけで出力も自在である。

これを頭がいいと言えばいいのだろうか?

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