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わたしの無政府主義(アナキズム)

無政府主義(アナキズム、アナーキズム)という思想はだいぶ昔からあって、共産主義や社会主義とセットで語られることが多い(特に戦前戦後のアナキズム)。今後、高度資本主義のありかたによっては脚光を浴びることもあるだろうし、むしろ主観的な見解だが燦然と輝くに違いないと確信している。

しかし、常にアナキズムは本流思想の支流に過ぎず、またある別の思想の亜流、歴史的にまとまりなく、けして主流になることもないこんな思想も珍しいと思う。そして、私もそうだが、ああでもないとか、こうでもないとか、しているうちに、嗚呼なんだ自分は無政府主義だったのか、と自覚したりする。まあ、自覚をしてもそこから何か行動するわけでもないのだが。

頭がいい人は他人の意見で歪まずものが見れるから、すっとアナキズムの道に入れるのである。環境によっては大逸れて果ては他の思想から出てこれないような人もいる。人間は誰しもアナキズム的な性質をもっているのに、そういう主義にどれだけ自分が傾いているか、あまり自覚なく生活を送っている。私はそういう意味で特殊というほどでもないけれど、アナキズムをはじめ保持している思想に自覚的でなければ思想的な立ち位置というか自己確立が危うい不安な気持ちになる。

その不安の解消に似ている人を探したりするがあまり見つからない。その時代を象徴する無政府主義者はいるが、てんで政治的だったり統一的だったりしないのでひとくくりにできない。だからそんな人がいても縋る対象にもロールモデルにもならないのであるが。。。

また、世間一般には、ロックンローラの人の思想だと思われていたり、危険思想だと思われていたりする。責任を持つべき大人が持つべきではないとする見方もあるのかもしれない。法律に無知だとか政治に無知だとか、家族を大切にしないとか、現実はそうはたやすくないとか、まるで子どもを窘めるるように言ってくるものもいるだろう。そういった性質も無政府主義にはあるが、ほんとうは穏やかな自然な考えかただと思う。

しかしながら、表面的な見え方だけですべてが誤解されがちである。

周囲の人間に相談すると、誤解されるというか全否定されて諭されるのも、私が若かったからかもしれない。自称大人の方々にガキっぽい青い思想なのだと忌み嫌われ言われ続ける運命にあるかもしれない。きっと自分もおとなになったらアナーキーな思想や破滅的な思想は消えるものだと思っていた。ところが逆だった。年を取れば取るほど、混沌と秩序の間でどうすればよいのか、人間が作り出した概念の前で停止(Sleep)している自分を発見する。この人間はこのまま停滞していていいのだろうか。

自分を発見できない自分を発見し続けている。トートロジー、そして、パラドックス。壊れた時計の中で掛け間違った歯車が空回りしたり軋んだ音をたてている。壊れた時計を無理やり進めるこの社会の中で人は無限ループに陥っている。そうならない他の選択肢がないと諦めたものは、やがてその壊れた時計を動かす歯車になることにあれやこれやと詮索しなくなり、何がしかの運用すべき理由を見つけては一丸となって働くことに専念し始める。

本体のプログラムのバグに引きづられ、モジュールである我々も自ら組み替えて自己修正し続けやがて修正不可能なバグを埋め込み、気づいた時には時が遅く全体が崩れ落ちる。

齢も四十すぎれば我が強くなり書き換えできぬと聞いた。迷わなくなると言えば聞こえはいいものだが、そうして我が強くなり自己の存在や方法論に固執し始めて新しい物を取り入れなくなってはおしまいだ。死ぬ間際になって、もっと自分に正直になればよかったなどと嘆いてみたりする。または、僕はよくがんばったのだ、などと人生を肯定したりする。まだまだ自分はやっていけるのだと現在を肯定したりする。どれも無駄なことだが、人間は、それをやらざるを得ないものかもしれない。窪地に嵌って出られなくなり見捨てられた一兵卒のくせに、何か大きなものを盾にしてその人はものを語りだす。

そんなわけで、私のアナキズムは、他人が自覚しないほどに広義なものであり、誰でも持ち合わせているものであり、また無声主義を軸に思想を語らねば自分を見失うものでもあり、消極的だが必要なスタンスみたいなものである。そういうわけで、キチガイの思いあがり、みたいに罵られるものであるのだが、それをつらつらと、いままでもだがこれからもいろいろな学術的な観点から、あぶり出していこうと思う。

アナーキズム入門(序論)(私訳)

このままではとてもたまらない。

全国津々浦々に我々は聞く。

いま明らかに社会は苦悩しているのだ。

しかもその苦悩は日増しに累積されていく。

都会を見るがいい。

失業者がいかに多く街頭に徘徊していることか。

その青白いつらは不安と焦燥と苦悩に満ちている。

商売人は借金に泣かぬものがあろうか。

農村の小作人は自分で作った米も食うことができない。

肥料が高くて借金までしている。

弁当を持たずに投稿する小学生もいる。

金解禁と産業の合理化は私有財産制度の必然である。

しかしこれらのために一層の苦悩に突き落とされた民衆がいる。

区役所におしかけが起こるのは民衆の苦悩の表象である。

民衆は絶望している。行動者である民衆に思想を持たせねばならない。

アナキズム。これこそが人類本来の思想だ。

民衆は無政府共産をその思想として始めて本来の人類にかえることができる。

始めて全て開放を保証することができる。

※現在、アナキスト・コミュニズムとサンデカリズムを混同し、アナルコ・サンディカリズムなるものをでっち上げて、それを行動に移そうとしている鵺(ぬえ)的攻撃の出現は単に西欧のみならず日本人にもたまにみうけられる。

※行動に思想あれ、思想に行動あれ、行動と思想との全き結合、そこにのみ革命が存在するのだ。