カテゴリー別アーカイブ: キリスト教

戯言:キリスト教/パブステマ/

〇バプテスト派

バプテスマ(洗礼)を大切な儀式だとするプロテスタントの一派。

〇万人祭司主義

>宗教改革においてプロテスタントが強く主張したプロテスタントの根本的な教理の一つ

カトリック教徒のように、神父をつうじてのみ神との関係性を築くことができるという考え方ではなく、それぞれの人々が神との関係性を築ける聖職者なのであり、また同時に、教会なのだ…という考え方のこと。

プロテスタンティズムのほうが神に近い場所に居られるという意味では、一信者である場合はそちらのほうがよいのではないか?と思う一方、善い神父に出会えるならば、カトリック信者のほうがよい導きにであるように思う。まあでも、そういう場合はただたんに善い牧師に出会えれば済む話でもある。

なお、間違った考えに囚われたプロテスタント信者は(経験的にも)手に負えぬと思う。自らが絶対者につながる者として絶対者宣言をするからだ。もちろん、これは人間のエゴ別に、わがままな信徒が何を主張するかは、その教義に依存して発言なり自己正当化がなさせるのであって、神の名の元に自分の不道徳さを肯定し始めることは変わらないがゆえに、どの宗派が一番だとかダメだなどという短絡的な決めつけはなんの意味もないことは承知している。。

イエスの皮肉な「善きサマリア人」の話

強盗に身ぐるみ剥がされた男が、
ユダヤ人に嫌われているサマリア人に助けらた話。

人助けとはいいものだ、という道徳的な教訓話だと
思っていたのだが実際はそういう理解じゃ足りない。

…というかその程度の話だと「いい話だね」と思って、
すぐ忘れてしまうだろう。

この善きサマリア人の法は、
民族に関係なく人助けしようという人類普遍の愛の話という解釈がなされるが、
この話はイエスがユダヤ人の律法学者を皮肉っている、と私は思う。

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レビ人とは司祭などになれる血がが優れたユダヤ人。

サマリア人は移民であり混血つまり雑種のユダヤ人。

同じユダヤ人を遡上に上げている。

つまり、これは、
血が善い行動が悪いユダヤ人と、
 血が悪い行動が善いユダヤ人は、
 どちらがいいんでしょうね?頭のいい貴方ならば、わかりますよね?

という問いかけなのである。

民族意識を超える、キリスト教の強い平等性を、
民族と血にしがみつくユダヤ人を相手に論破しようとしている
イエスの強かさにこそ我々は学ぶべきじゃないか?と思う話である。