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朱子学と陽明学を学ぶ

朱子学は中国の近代化を妨げた停滞の思想というのが事実はどうか知りませんけれど、とにかく、
儒教からの朱子学と陽明学を学ぶには、この1サツ「朱子学と陽明学」(島田虎次・岩波新書)しかない。
というのは言いすぎだけど、必読本らしい。

…ということで、安かったのでとりあえずポチりましたよ。

たぶんなんですが、私の記憶が定かではないのですが、昔、地元の図書館でこの本を読んだ覚えがあります。

で、わりかし感動しました。で、朱子学と陽明学をヘーゲルの精神現象学と重ねて読んでやるぞ!と、
若き日の私は「陽明学研究」を書いた安岡正篤氏みたいに思ったのでしたがどこかで道を逸れて、
ポストモダニズムにうつつを抜かす青ざめた青年になっていたのでした。

一般の人が読む良書は限りなく少ないらしい。
あと中国人が日本の本で勉強しているということもあるのだということを知った。
日本人の研究グセの恩恵に預かりましょう。

上記で出てきたように安岡正篤の量産された主観だらけの本はどうでもいいのですが、
この人が20代で大学の卒論としてまとめた「陽明学研究」というのが読みたいです。

安岡正篤のお弟子さんはみんなべた褒めしています。

超というわけでもないけど、中古でも普通に値段がついています。
Amazonか古書巡りしないと手に入らなくなってくるね。

てか、やまもといちろうがいうように、
(陽明学はオワコンじゃないけど!)安岡正篤はオワコンかもしれない。詳しくは知らん。

おじいちゃんが論語を云々かんぬん言っているのではなく、
若い人ががんばって実践哲学を学ぶってことに一定の価値があると思う。

というわけで島田本を読んでまだまだ勉強意欲というよりもっと新しい見解が聞きたい!と思い
かつお金の余裕ができたら買っちゃおうかな。

心即理について。

王陽明の心即理はつきめて言えば、
自分の心の結果が外界の理(ことわり)に過ぎないという意味だと思う。

これは、自分の心が変われば外界が変えられるということ、と言い換えるかもしれないが、これだとぬるい。

そんなことは言わずして当たり前である。

逆に、私は外界の状態は自分の心の状態に過ぎないと言ったほうがしっくりくる。というか、正しいと思っている。

外界の状態とは本然の理と完全にリンクするものだからだ。

したがって至誠をもって思い通りの世界(外界の状態)を描けていないならば、己の本然の理が100%発動していないということにすぎない。

…ということは、完全な理想世界にに自分を置くにはMAX値にたどり着くことを陽明学的に実践するために心が適った理になっているかの自らの心を点検しなければならない。

そして至誠を尽くしていなければ、そして結果が伴わなければ、自らのせいなのである。

性善説は果てしなく自分に厳しく自分に進歩を促す思想であることを体感せざるを得ない。

こういうことがわかって、自らに課せれて、はじめて役立つ思想になるのだと思う。このため、

今まで言葉の外部にあるイデアとしてのロゴスというような概念は捨て去らなければならない。

一度、高校で学んだ倫理を棄てなければならない。

極論を言えば、高校の倫理は自身の苦しみを助長させるものではないか?という仮説が生まれてくる。

エリクソンとかルソーとかトックとかベンサムとかミルとかホッブズとかサルトルとかデカルトとかマズローとかフロイトとか、
マザーテレサとかガンジーとか福沢諭吉とか後なんだ???…そんなもの学んでいちゃダメなんじゃないか???

・・・とすら思うようになってしまった。

福沢諭吉が1万円札の顔になり、フランクリンが100ドル札の顔になる時点で、日本とアメリカの未来は決まっていたのかもしれない。

経済成長が悪いわけではないし、お金の顔として彼らはなかなかふさわしい人物であるからその点この顔を選んだ人はかなりセンスがあるが…まあ、そんなことはどうでもいいか。

…まあ、孟子と荀子について学ぶかもしれないが、サラリと流れるだけなのは、いまさらながらもったいない。

至誠と勉学による成果をセットにするという教育が大事なんだと思うよ。という話。

陽明学は死んでいねーよ。安岡正篤厨とその批判厨に引導を渡したく。

理研の研究者がSTAP細胞を捏造したら科学が死ぬんでしょうか。

そんなわけないこと、誰もがわかります。

…では、陽明学はどうなんでしょうか。

「陽明学は死んだのか」
blog.canpan.info/sasakawa/archive/4188
細木数子事件と陽明学の死
bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20131011-00028848/

同様に、安岡正篤が高名な陽明学者だったか知りませんし弟子の本がいっぱいBOOKOFFで並んでいます。
もちろん、本人の本も並んでいますが時代遅れの感が拭えません。本当に儒学/朱子学/陽明学が学びたければ、
安岡正篤ではなくて、別の研究者によって書かれた本と訳が優れた原本を手に取るべきでしょう。

安岡に師事した人にダメな人が多くても、別に研究対象の学問がいきなり死滅するわけがないのです。

陽明学の1研究者にひっついた数名の弟子によって何で陽明学が死滅させられなければならないのでしょうか?

阿呆も休み休みに言えと。

煽り記事を描いた笹川陽平の言葉は断定ではなく問題提起のように見えるのですが、
それに、それに切り込み隊長の山本一郎がさらに「比喩ではない」と火に油を注いでいます。

山本一郎ってそれでも聡明な人だと思っていたのだけど、ただの炎上商法屋なのだと改めて残念に思いました。