カテゴリー別アーカイブ: 雑学

友達にお金を貸してはいけない理由と、貸してしまった後に返してもらう方法

border-597383_640

子供の頃から続いている友情というものは尊い関係です。年齢を重ねてからできる絆もありますが、失ってしまえば取り返しがつかないものなので、友達を大切にしようと思うものでしょう。

しかし、お金の貸し借りだけは、お金を失うだけでなく「友情」を壊してしまうのでやめた方がいいとよく言われています。それはなぜなのか、詳しく考察してみたいとと思います。

結論から言ってしまえば、友達にお金を貸すのは知らない人にお金を貸すより問題が大きくなりがちなのは理由があります。あなたが友情を理由にお金を貸しても、お友達の方が友情を理由に甘えて返さなくなるからです。だ

から仲が良ければ良いほど事態は深刻になります。

親しいからお金を貸したのに!と、貸したやつがバカなこということがありますが、親しいから金を貸しちゃいけないのです。友達関係が壊れるから金を貸さぬほうがいいと言う人がいますが、それは貸す側の気持ちの問題に過ぎませんのでここでは大して問題ではありません。相手は、親しいから金を返さない気になってくるので、貸しちゃいけないのです。もっと相手の心理状態に踏み込んだ理由で、貸しちゃいけないということを貸す側はきちんと自覚しないとダメです。

おそらく貸す側であるあなたは善意で貸すので利子なしで貸すことになるでしょう。これがそもそもの過ちの始まりです。利子がなければ、お金を返してもらうのは最後にになります。なぜなら、家族や友人の前に金融屋からお友達が摘んでいた場合、当然ながら利息が高いところや、せっついてくるところ、その次にお友達にとって親しい近い存在から、債務を返却しようとするはずだからです。

したがって、返す優先順位が「金融屋>親族>友達」になります。すでにサラ金から摘んでいる場合はお終いでそいつは崖っぷちです。そこでひとまず縁を切るのがいいでしょう。(金融屋に行っていなさそうなら、とりあえずプロミス、タケフジ、アコム、レイクあたりを勧めておきませう)クレジットカード枠を現金に買える方法を教えて、現金つかませておけばひとまずバカ友は満足します。

お金を借りる側は友達に借りたお金は最後に返せばいいと「友情」を盾に思い込みます。あなたがお金を化したお友達は「友達だから後でいいだろう」という甘えた行動に出てしまうのです。

お友達も都合のいい時だけ友達であろうとするというわけです。

別にこれは責められる心理状態というより自然な心理で、友情という淡い人間関係を債務者はズルく活用してしまうのが弱い人間。貸す側であるあなたは、無利子というリスクを負っているにもかかわらず、返されるのが遅くなるという経済原理的に不利な立場になってしまいます。もともと借りる側は貸す側のリスクに無頓着です。お金貸して催促したら逆ギレなんてよくある話です。気をつけましょう。

それでは、友達という関係は脆い薄い儚いものなのでしょうか。

私は「友情」そのものが一般的に脆かったり薄っぺらかったり儚かったりするのではないと思います。そもそも「友達」というものは適当な距離感で維持するものではないでしょう。友達は困った時に助けるものだという幼いころの微笑ましい友情論を持ち出すのも結構ですが、お金を借りたくても友達という関係が大切ならそもそもお金を借りに来ないでしょう。むしろ友達がお金を借りてきたら今後は友情のために金を貸すのを断りましょう。それがお友達が分からないようならば、もはや金を借りに来た人間は「友達」ではないのだと割りきりましょう。

返してもらわなくても困らない少額を渡すのがいいと言うひとがたまにいますが、そんな義理は無用です。それこそ1文も帰ってきませんので無駄です。お互いのためにもなりません。相手は目的が叶えられていないのだから満足すらしない。1円でも上げると普通は漬け込んでくるし、少額しかくれないことにお友達は怒りを覚えるでしょう。一歩も踏み込まないほうが結果としていいのです。「そんなお金はない。今忙しいので後で」とでも言って初めから関わらないのがベストです。

【もしお金を友達に貸してしまったらどうするか?】

万が一、お友達にお金を貸してしまったらどうするか?簡単です。まずやることは、債務者にとって一番に返さないと恐ろしい相手になること。つまりお金を返してもらいたいなら金融屋として行動することです。相手に電話もしくあ家まで言って「あのお金ないと困るんです返してください」と言い続ける。相手も「お友達」を理由に支払いを先延ばしするので、こちらも「お友達」を理由に返却を求めましょう。逆から言えば、相手が友達やめるまえにこちらが友達やめなさい。どうせお金を返してもらっても嫌なやつだと思われて相手から友達関係を切ったり逆に都合のいい(困ったときにお金を貸してくれる)存在にされるだけですよ。

矛盾しているようですが、相手は無意識にズルするのが常なのでこちらは意識的に友達理論を利用して返却に迫りましょう。喫茶店に呼び出して、目の前のお友達だった債務者に「(僕らとの関係が大事なら)今すぐに別の知人からお金を土下座してでもいいから借りてきてください。それが誠意ある行動じゃないのか?」といい、親族でもなんでもいいのでかけさせる。車などの資産があるなら処分させる。とにかく自分が払ったお金を回収することだけを考えます。相手がゴネたら脅迫罪に成らない程度に淡々と詰めましょう。

話がまとまらないなら商談?を纏めるために「3ヶ月後は?」「1ヶ月後は?」と聞きます。相手は話を終わらせたいがために何も根拠が無いのに「3ヶ月後なら返せそう」とか言ってくると思いますので、それを言ったら一筆書いてもらいましょう。返してくれないのであれば、根拠に親族のところへ出向きましょう。それでもゴネるなら警察を介入させますが…まあ、その交渉テクはまたの機会にでも。。。

…これで回収できないなら、あなたには友達ごっこも金融業も向いてません。

で、もっとライフハック風の記事にしたかったのだけど、書く気がおきなくなりここで終わり。てきとーで、すんません。

チャーチルの民主主義と共産主義についての名言が好き。

ふと色々な政治体制批判(政治システム批判)をしている私としてよくチャーチルの言葉が思い浮かびます。
が、フレーズだけ思い出すが、誰がいったんだっけ?とわからなくなるのでまとめておきます。

チャーチルの民主主義について。


民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが。
/code>

チャーチルの共産主義について。


二十歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りないが、二十歳を過ぎて共産主義にかぶれている者は知能が足りない。

このちょいと皮肉ったいいかたがいいよね。

チャーチルについては、戦争相手のドイツ・ヒトラーのほうが有名でインパクトありすぎて、あんまりしらないけど。

ヤルタ会談の写真に写っている小柄の亀みたいなおっさんという印象だけ。

yahoo->outlook.com(hotmail.com)のメールが届かない

yahooから実験的に自分宛てに送信したところ受信できないし迷惑メールフォルダにも入らない。

「差出人セーフ リスト」に記述すれば受信できるようになる。

アホな仕様。なにこれ。メールの意味をなしていないだろう。

スパム判定率がめちゃくちゃ高いと言うなら、
メールやり取りする知人は必ず差出人セーフリストにいれるくらいのノリで運用しろ!と思うのだが、
はたから運用するつもりないだろこれ。

フリーメルはgmail一択の時代になったよね。

個人情報の流出が云々かんぬんと言っていた知り合いも、平気でgmail使っている…適当だなー。。。

情報系の専門学校生よ、コンピュータサイエンスは終わらない。

大学のことは分からないからノーコメントだが、情報系の専門学校生へ言いたいことがある。

前にも自分に対して同じことを言ったが、「コンピュータサイエンスを学べ」ということだ。

コンピュータサイエンスが終わりだという阿呆な大学教授がいたが、決して終わらない。コンピュータサイエンス終わるとしたら我々の仕事も終わってしまうということに過ぎない。クラウドが導入されてフレームワークによる業務アプリケーションの組み換えしか学べず食えなくなっても専門学校のせいにはできない。だいたいプログラマ/システムエンジニアで食えなくなるということはコンピュータによる自然言語解析がほぼ完全に可能になったということだ。それは自分の仕事も失うことを意味するが同時に別の世界改革が起こるレベルであるから、そんな未来なこと心配してもしかたがないのである。少なくともノイマン型コンピュータをうまく扱う思想は他に応用が利くしSFチックな様態になるほど急に進化する気配はない。問題解決になる銀の弾丸はない。

なお、基本情報技術者の勉強でもアルゴリズムや基礎的なコンピュータサイエンスは学べるが、それでは足りない。もし2年生の授業で学べるとしたら、せいぜい基本情報技術者試験対応レベルで終わるだろうけど、基本情報技術者が即実践で役立たないのは、それらが基礎の基礎だからであって、これらの勉強が不要だからではない。入門するための試験なのであって、基本情報技術者は入口である。出口ではない。「基本」なんだから当たり前なことなんだが、、。

まあ、それはさておき、なぜコンピュータサイエンスが必要なのか議論されることがある。業務用のSEになるならば、コンピュータサイエンスを学ぶよりも、お客様の業務や言語仕様を学んだほうが(・∀・)イイ!!なんていう輩がいる。(というか、昔、私はそう思っていて、いろいろなOSとアプリケーションを使えることが重要だと思っていた)それはそれで確かなのであるが、結局のところ10年近くITの仕事をしていて思ったのは、それらは必要条件であって十分条件でもなんでもないということだった。やたらマイクロソフトが好きなマイクロソフトフリークや、やたらオラクルが好きなデータベースフリークや、やたらサンマイクロソフトシステムズのJAVAマスターがいても、職業柄たまたまそういう先輩はそうなっているんであって、製品情報の煌びやかさに誤魔化されずに背景(バックボーン)になっている基礎力に注目しよう。光る物の背後に地についたベースが優れた技術者ならばあるはずであり、それくらいは容易く見抜けるようにしよう。すごい人はすごいし、すごいように見せているだけの人はすごくない、という直感はだいたい当たるものだ。

話が逸れた。社会におけるシステムエンジニアは、業務やアプリケーションが分かっていて当然で、社会の仕組みや会社/経営の仕組みや経済の仕組みが分かっていて当然だとされる。すべてを同時に学べないにせよ、十分すぎる知識などない。一般常識的な会社や経済の仕組みという意味でのシステムに加えてコンピュータのシステムの原理的な部分は見えて損ではないどころか必要不可欠な知識である。

あらゆる仕組みを学びあらゆるシステムを看破せよ。スーパーハッカーの道に無駄な知識などない。

二〇代なのに高血圧でヤバい

二〇代なのに高血圧でヤバい

上は忘れたが下が80を超えて90近い時がある。

体になにかがおきているのだろうか?

疲れやすいことと関係がある?

とはいえ、80くらいなら正常値なのかもしれない。

ちなみに、ソースによって血圧の正常値がだいぶ違うので困っている。

日本高血圧学会の正常値は140/90未満であり、日本脳卒中学会の正常値は130/85未満である。これを基準にすれば私は正常な血圧だと言うことができるだろう。一方で、日本動脈硬化学会と日本肝臓学会では130/80以下を、日本糖尿病学会では130/80未満を、それぞれ正常値としている。それぞれ検査や承認の機関が違うからという理由で納得はできるが、成人病に怯える私のような一般人にはもうちょっと統一感をもたせて欲しいと思うのはいたしかたないことかと思う。

自分の休日という概念を疑い取っ払う

ふと作業場で話をしていて休日と祝日について話し合っていたところ、
自分の中で「休日」って何だ?と思って調べているところ。

サラリーマンであるわたしは今のところ土日は休みであるが…
…時々、休みすぎではないか?と思ったりもする。土日働いてもいいから、
きっかり8時間で終わらせられないものかと思ったりする。

一方で忙しければ土日返上して1日15時間前後働くことだってあるわけだ。
江戸時代は当然ながら西洋のルールである日曜日という考えがなかった。
Webでしらべると色々な資料がでてくる。

江戸時代は日本人の多くの人が農民であろうが、
盆と年の暮れしか休めなかったと言う人もある。
祭日(現代的な意味ではなく、地域のお祭りという意味)や、
閑散期の月に2回ほど月はじめと15日に休んでいたとかいう小作人の誓約書もあった。
※ブルジョア(領主)じゃない労働者は十数日しか休めなかったようだ。
決まった休みはなかったが農業の閑散期は適当に休んでいたとか、色々な意見があるが、
1日の労働時間はともかく、10日~60日ぐらいなんだと勝手に推定した。

現代もバイトから休みの無い事業主や経営者からサラリーマンまで様々であるが、
言えば人それぞれではあるんだが、立場や貧乏人によって忙しいのは変わりない。

身も蓋も無い結論であるが、休日という概念とはつくられたものにすぎない。
つまり一種の共同幻想なのである。

最善効率で成果を出し、人生を充実されるために、休暇はかかせないものだが、
幻想である土日や有給とどう向き合うかは、一考されるべきものである。

土日は与えられた権利である!というのは極端だし、
土日のために働いているという私の相方の言い分も、
ちょっとよくわからなかったりする。

土日は嬉しいものだが、
5日という労働日のスパンをこなす理由にする意味がよくわからない。

というわけで、休日とは幻想であるということを踏まえて、
「最善効率で成果を出す」
「人生を充実される」
という2点でもっと考えられるべきものではないか?と思う。

ので、そのことについて、ちょっと書いていこうと思う。

実名性に価値は無い。インターネットの価値は匿名性にあり。

あるところで実名制で批判せよとかいう意味のわからないことを言われたので一言。

実名性にして何が得になるのか?何が価値があるのか?といいたい。

「実名性にすべき」と似たようなことを勝間和代なんかも言っていたと思うが、実名性にすれば責任を負わせられるみたいな論調はバカだなぁと思う。だったら、そもそもTCP/IPネットワークのインターネットを使う意味がない。IPに変わる実名性のアドレスを用いて、勝手に語ればいい。例えば、電話なんかは契約している限りは自分固有のものなのだから、電話で議論すればいい。別にSNSやLINEなんかでもいいのでは。わざわざ自由に繋げるインターネット上に実名性のレイヤーというゲタはかせるセンスの無さには吐き気を覚える。別に人物特定は法を介せば割かし明らかにできるのだし、このブログだって見る人が見れば私が誰だか分かってしまう。どこに住んでてどこらへんで仕事していてどれくらいの年齢でどういう仕事をしていて家族構成やペットの有無や両親が健在かとかどういう趣向性があるのかすべて分かってしまう。人物特定が間接的にできる以上はそれで十分その人の一意性があるわけだし、別に批判に対する批判から逃げるつもりなんかない。だいたい責任を放棄したくて匿名性を維持しているわけでもない。実名性でやるメリットがないから匿名性なのである。

おそらく、自分の名前を売りたい人が、自分の実名性を優位な条件として位置づけたいだけなんだろう。匿名性の人の情報を得るために意地でも表舞台に引きづり出してやろうという意地汚さが見える。私がフリーランスにでもなって実名制で勝負しやすくなったら、実名で名を売るのは1つの手段だと思うけれど、わざわざ匿名性の人を実名社会に引きずり出すなんて汚すぎて考え付かない。匿名であろうとも、しっかりした意見交換や議論は成立する。わざわざ社会的地位や職業を隠さずとも、少し話をすれば知識があるかないか話ができるレベルか自分より上なのかどうすれば話のすり合わせができるのか、それくらいすぐに察しがつくものだ。(逆に実際のその人と差異があっても、それはそれで楽しみだし、大きな問題にはならない)その言葉には責任が負われるものである。

匿名性を叩くのはおそらくアイディンティズムに毒された実名主義者の論点すり替え。別の論理に付随して責任を追及したかっただけなのであるから、なまあたたかい目で許容しつつ「まあまあ、ちょっと落ち着いて」と言っておけばよい。「あんたは匿名だから黙ってなさい」とか言えるなら、匿名でバカにしよう。実名で戦える人は匿名の人間を叩いてもしょうがないと悟れ。

企業名についているincとは何か?

Q:incとはなにか?

A:Incorporatedの略で「法人化された」という意味。Corpとあまり意味は変らないらしい。

アメリカやイギリスではこういったものを付ける義務があるので、国際的な企業だとつけられている可能性がある。

※ちなみに、カンパニーは「共にパンを食べる人=仲間」という意味らしい。

参考:markresearch.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/corp-inc-co-ltd.html