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霊の階級・低級霊とは何か1(序文)

自称霊能力者が「この者には低級の霊がついている」「獣の霊が憑いておる」などと言ってお祓いをする場面があるが、よくよく考えるとこれって何をもって低級と決められるのだろうか?

そんな霊能力者がいたら、私はすかさず聞いてみたい。

なんで低級の霊ってわかったんですか?と。

彼らの区別では、たぶん文脈より察するに「神霊>人間の霊>(獣の霊≒)低級の霊」一般に、こういういうヒエラルキーがあるのだと思われる。

ちなみに、この私の解釈には大いに間違いがある。獣だから低級ということはない。獣というのは属性に過ぎない。いわゆる神だろうが妖怪のたぐいだろうが獣であっても人間より力を持っていて上位な霊は山ほどいる。霊力や妖力などの力の強さで言えば人が神を超えることも獣が人を超えることもある。そういう場合は人間にとっては恐れ多い存在だから崇めて鎮める対象になるので祀られる。人間より上位の霊は神であったりする。

正しくは、神霊と人霊がある。

神霊は人かもしれないし獣かもしれないし得体の知れないものかもしれない。

物質だって器具だって石も水も神霊になる。

それだけの話なのだ。

つまり、この階級的区別は、祀られるか祀られまいかや、もしくは存在する場所(例:国津神と天津神)などによって決まるに過ぎないのではないか。

人外の脅威として人/獣/神を一緒くたに扱った神/霊を文字通りというか字義通り神と扱うのは当然だ。

しかし、なぜかよくわからないが劣った霊がいると霊能力者は言うのである。

これ、失礼じゃないだろうか?

仮説だが、上があるのだから下もあるだろうという二項対立が生まれるがゆえに、人は低級霊なるものをつくりだしたのではないか。

これは何の理もなく低級だのなんだと霊能力者の差別意識によって決めつけられているだけなのである。

低級だと決められる人は血肉を持った上級霊とでも人間だと言いたいのだろうか?

であるとすれば、この考え方は間違っている。

宮崎駿のとなりのトトロに出てくる"まっくろくろすけ"は低級霊で"トトロ"と"ねこバス"は上級霊だよなどというとなんだか、もっともな気がしないでも無いけど、そんな決めつけしたやつは何様だ?ということを言っている。

無神経な無神論者の史的唯物論だったら、トトロもねこバスもみんなただの化け物だと一蹴するだろう(苦笑)。

これは、実につまらない見かただなと思わないだろうか。

千と千尋の神隠しであれば、湯屋で働く千尋がもっとも下の存在(人)はせいぜい豚(両親)ぐらいなものだ。ヘドロを撒き散らしている物の怪は人が汚した神である。

上はあっても下はないという見かたのほうが適切なんじゃなかろうか、と言いたい。

千と千尋の神隠しで豚が下品な存在だと言うのは、家畜にされてない猪豚は「もののけ姫」においては極まれば乙事主様である。

白くて大きな猪豚は神聖なる神以外の何ものでもない。

自称霊能力者というものは、そういう安易な決めつけをするのだ。

ただし、乙事主は人によって鉛を打ち込まれて汚れる=即ち死んで黄泉に行くと荒御霊となる死んだイザナミもこの類だろうか。。

仮に、死ぬ地に落ち天/神/上(かみ)より人よりも下に行くから低いんだという意味で、低級=死霊だという意味で言っているなら、なるほどと会得するかもしれない。つまり差別意識より上か下かは場所を定義しているに過ぎないというわけである。しかし、聞いている私の受け取り方に問題があるが、たぶんそうじゃないんではないか?と捉えている。

話は戻るが、全国水平社や日本共産党などが天皇こそが差別を作り出していると言っているが、そういう問題じゃあないだろう。

差別を作り出したのはお祓師が作り出した患者やその家族に説明するために作り出した妄言なのではないかと疑っている。

たぶん、おそらくだが、、、仏教で言うところの、六道輪廻の思想が関係していると思われる。六道輪廻は天道(てんどう、天上道、天界道とも)人間道(にんげんどう)修羅道(しゅらどう)畜生道(ちくしょうどう)餓鬼道(がきどう)地獄道(じごくどう)とあるわけで人間の世界は上から2番めで神以外のものはすべて低級なのである。

畜生界に落ちた人間より下の階級の霊という発想から、低級と決めつけているのだとしたら差別はインドから来ていることにならないか。

まったく日本とは関係ないと思っていたインドのカースト制度と日本人の霊界的ヒエラルキーひいて差別意識はここが根源になるのではないだろうか。

こういう階級的差別は神話が作り出したのではなく、例えば神話の中に区別として天津神と国津神というふうに区別としてもともとあるものが描かれたに過ぎないからであり、その歴史/神話を否定することで得るものは非差別なのだろうか?私は差別ではなくて区別であると思うわけだが、その区別の付け方にこそ昔の人が何らかの判断を下した痕跡なのだということに着眼したいと思う。

少なくともその区別を廃絶したら歴史の否定がされるだけで後世には何も残らないではないか。

そればかりか後世から連なる身体的特徴を説明する手段が科学しかないことになるが(※科学も歴史をもってして使われなければいけないと思うが)それではますます自分のアイデンティティを確立することが難しくなり混乱を残すだけだと思う。

その正しさはともかく神話が我々に伝える情報をうまく自分にとりいれることこそが、歴史的な人間理解につながり、ひいては豊かな精神活動ができることに繋がるのではないか。

そんなわけでない頭で考えてみたわけだが、これで個人的には差別意識の生成過程に迫れたと思っている。

あとは間違いを直して正しさを探していきたい。

自らの霊的な差別意識ひいては人間的な差別意識が、古来の外来思想が根深く噛んでいるとしたら、その基準で霊を判断する愚かさと人間の奢りついては罪深いものがあると思う。