月別アーカイブ: 2013年6月

スパイダーマン(2002)を見た。

高校時代に好きなやつがいたのを思い出した。T君げんきかな。話を聞いて「マスク」に似ていると思っていたのを思い出した。やはり似ていると思った。だから思い出した。女優もどことなくキャメロンディアスに似ている。スッキリみられる典型的なアメコミ。無駄に言葉遊びが無いのもいい。言葉遊びが多いのも嫌いではないが、主人公ピーターのおじさんが残した以下の言葉がゆいいつ課せられた指針。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」

(With great power comes great responsibility.)

どっかで聞いたことがある言葉だが。スターウォーズだったかな。アメコミではよくあるある。。

sigのためのネタ。

sigという情報システムというかWebアプリケーションを開発しています。これ10年くらい前つまり学生の頃からあった構想なんだけど、別にシステム的にはたいしたことないのだけど調整が難しい。ブログみたいなシステムで登録してあるワードを自動的にリンクするってだけの、ニコニコ大百科やはてなダイアリーに似た機能なのだけど、それだけに特化したアプリケーションを自分のソリューションに最適化したものが世の中に無い気がするので作ってみようと思っている。ところが、沢山の記事を登録しておかないとあまり意味がなく、また先ほど言ったように細かい調整のどころで何が最適なのか分からない部分がある。とりあえず後でぶっこむためのネタを用語というカテにわけてつくりまくっておこうと思います。wwikipediaとそっくり使うというのも手かな。wikipediaのクローンができるだけだけど。。。

近代史、とりわけ、経済学と政治学。

家に経済学検定という本があったので引っ張り出して読んでいる。経済学について具体的に知ることが実体経済を推し量れるようになりビジネスに役立つようになるというが、どうも実際にどのように役立つのか分かっていない節がある。ミクロ経済学の数値計算がいったいどのようにビジネスのフィールドに出てくるのか?あまりよくわからない。よくわからないが、とにかく近代史に通じていない。自分は能が無いと自覚しているので、これまで興味が無かったわけではないが習熟していない経済学と政治学という学問を日本と言う場所を中心にしながら時間軸を近代に移して景色を眺めて行こうと思っています。

個人情報の収集で公開される事への懸念。

自意識過剰と言えば自意識過剰であることだが…前々から気になっていることがある…とにかくこうして匿名性のブログを書いているわけなんだけども、きっとどこかで個人情報が集約されてしまい分かる人には私が誰だか分かってしまうのだろうなと思っている。

例えばだが、私は、法律の専門家である弁護士や司法書士や行政書士をひっくるめて法律屋と呼び、税理士や公認会計士または企業の経理的な業務を行っている専門家を会計屋と呼び、自分を含めたIT業界に属するPM・SE・PGなどのソフトウェア開発職をはじめとし、PC教室の講師、サーバ管理者、ネットワークエンジニア、アプリケーションエンジニア、WebデザイナーなどITに携わることをひっくるめてIT屋と呼んでいる。そうやってくくって定義したほうが自分の仕事を限定するよりも抽象的に述べた方が適切に自分を説明できると思うからだが…

こういう大きなくくりで○○屋という言語空間を用いて使っているのは私だけと言うのはありえないながらも、だいぶこういった語彙を使う人と言うのは限られてくると思われる。そういうことの積み重ねだけで匿名のだれかが書いた文章と言うものを集積していけばブロガーの人物特定なんかかなり容易であろう。国家レベルでそういうことが行われ研究も盛んであることは承知しているが、例えばブロガーの個人特定をするというところにニーズがありお金を支払ってでも行いたければ割と誰でもできてしまうのだろう。

どっかの会社が特定クライアントの為に行う調査ならともかく、割と低いモラルの人が収集した情報を公表したらどうなるか。匿名で書いていたブログが特定の個人のものと断定される。すなわちインターネットの匿名性が失われてしまう。そういう人間は、ブログというパブリシティへの伝達を避け、毎日IDが変化する匿名電子掲示板などを利用するしか手がないだろう。

…というわけで、匿名ブログを書いているはずなのに、だんだんと息苦しさを覚える。息苦しさのなかでどう自由を確保するのがいいか、はたまた完全フリー(早稲田大学のスーパープリーみたい)というものが幻想なんだろうか。意味をもった情報の海でまったくのリレーションなしに情報を発信することは不可能なのである。

と、思ふ。

ふりそでーしょんの年齢制限。

はたち、はたち、はたち、あたしー、はたち、ふりそでーしょん。

きゃりーぱみゅぱみゅ。別にあまりきゃりーぱみゅぱみゅそのものには興味が無いのだが、中田ヤスタカのテクノポップを作曲する才能とその音の心地よさにひかれる。あと、きゃりーぱみゅぱみゅ現象がインフルエンスしもろもろの商品が流行る要因になるということ。今度は何の商品を売り出したいがためにコングロマリット型の歌詞を考えるんんだろうと歌詞をマーケットや意図を考慮しながら考える人の気持ちになってみたりすると楽しい。きがつくときゃりーぱみゅぱみゅの歌を歌っている。

振袖に関する知識が無い。振袖とはきゃりーぱみゅぱみゅの歌から察するに二十歳になって振袖をきましょうという歌だが、allaboutの記事だと30代未婚の人も着るらしい。また20行かない人が着ないのだろうか。きるよなーたぶん。若くて既婚者になっても着るものなのか。風習にこだわる必要はないと思うけれど、やはりおばちゃまがきているイメージはない。未婚の女性が見合いの時にNOであることを別の女性に知らせてフリフリと揺らすから振袖なのだと聞いたことがある。どこのサイトで見たのか覚えていないが。

とにかく常識の範囲でファッションを楽しめばいいとおもうけど気になって調べてみた。若い人が楽しくきればよい。というところに落ち着くの巻。

ふなっしーはドロイド君の二番煎じだと思っている。

youtubeで見ていても何が全国的に?きているのかいまいちよくわからないふなっしー。

ドロイド君よりふなっしーの方がリアルで見るなら身近というところがいいところ?

ふなっしーとドロイド君の比較。

【ふなっしー】

【ドロイド君】

ゆるきゃらの中の人にダンスパフォーマーを突っ込むと成功するということがわかった。あ、中の人なんていないのか。失敬失敬。

人と話すのが楽しい話下手。

この前に中華街に行った。お土産屋さんにくまもんが売っていた。喋りかけると、そっくりそのまま録音してボイスチェンジャーで書き換え発声し体をがくがくと震わすという、仕組みがしごく単純な玩具が2600円程度で売られていた。これ便利だ。話しかけるとオウム返しではあるものの何か語りかけてくるので話をしている気になれるのではないだろうか、と玩具以上の期待をしたが嫁に「気持ちが悪い」と言われて購入拒否された。

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人に話をすると「わけがわからない」と怒られる。かと言って逆にひとのはなしを聞いていると「きくたいどがおかしい」とか「なにもわかっちゃいないのに相槌をする」「態度がおかしい」からはじまって「なにもしらないバカ」という扱いになる。何なのだろうこれ。

…かと言って別に話をするのは得意ではないが話をするのは嫌いではないつまり好き。好きだけど嫌われる、厄介な片思いのようである。人と話すこと人の話を聞くことは、そもそも好き嫌いを言っていられない。人と全く話をしない業界で働くということは可能だが、そう極端な世界にも行きたくない。だれもが普通に会話をしたいがうまい具合にいかないとうのが世の中なんだろうか。であれば割り切って話下手だとか周りに思われようがそんな人ざらにいるので気楽にトークを研究し続けるしかない。研究ってちょっと大げさすぎる気もするけど。

p.s.すべてのことに通じるのは難しいがなるべくアンテナを広げて多くの情報のシャワーを浴びる。

…やはり、マネしておしゃべりぬいぐるみ、おしゃべりくまもんが欲しい。くまもんがいまさらジワジワと来ている。ふなっしーは微妙。

謙虚さとは真摯さのことか。

謙虚であることを美徳というかポジティブに評価する日本人がいる。一方で「謙虚ですね」と言うのは静かで発言が少なく物足りないと案に述べているのだという邪推するモノものいるらしいが…それはさておきイイ方に捉えられることが多い。謙虚。でもこれ一体なんの意味があるのだろうか。その場を丸く収めるのに謙虚であることは楽である。ただ自分を一時的に守るためには最善の選択なんのかもしれない。ただし、ただ謙虚であることが長期的に必ずしも功を奏すかと言えばそうではない。本当の謙虚さとはその先にあって相手を理解するというところにたどり着く。聞くと言う態度は非常に難しい。深いところまで理解する姿勢をきちんと持ちたいということ。世の中にある自己啓発本には「話す技術」と「聞く技術」という本があるが、話す技術、それ以上に、聞く技術の方が、一般常識と基礎学力が求められる。知識が無ければ相手の話のよしあし理解を判断しながら聞けないものである。逆に正しく物事を分別して聞けているのであれば話し手以上に語れなければならない。

義務は課せられるものだが、権利は与えられるものか。

また、他人の受け売りに過ぎないが…

権利は与えられるものであり、義務は課せられるものである。...というのはちょっと違うと思う。権利と義務は対義語だと言うが、ビジネスにおける権利に限って言えば、市場を制したモノもっと簡単に言えばクライアントに取引先に選択してもらったもののみが商談に参加する権利を得られる。単純にあれをすればこれがえられるというような単純なものではない。色々な手続きや行動姿勢とその結果が問われるということだ。

特定の義務を己に課し義務を真っ当したものに限り、もしくは、勝ち取ったものにのみ、権利を与えるというふうにするほうがいいのではないか。そうである方がわかりやすい。私もとかく人に「偉そうだ」などと言われるがその根底にあるのが、「偉い」といったら語弊があるが「権利がある者」だと思っている節があるからだと自己分析している。

例えば、SEという立場であれば様々な業務知識を持っているのが望ましい。

しかし、すべてをカバーできないから、情報システムを開発する前の要求定義で業務知識の分からない部分を、ヒアリングしているその業務のエキスパートから聞かなければならない。その振れ幅が多すぎるというところがある。分からない部分は教えてもらって当然だと言う態度に出るところがあるというのを認める。自分とは違う業界なのだから知らないことが多々あって当然だと思うのだから尋ねて知る権利があるとすらぶっちゃけ思っている。しかし、本来はそれは持っていてはいけないらしい。すべての業務の知識を得ることなどまず不可能に近いが、人にモノやサービスを売るならば、その人の業務や生活について知る一般的な知識がまず欲しい。それを世の中的には一般常識と言うのであれば、やはりみんなが知っていることに耳を傾けて置く必要がある。

社会人における基礎学力と一般常識というものを30近くなって改めて認識している今日。そして「現憲法は多くの権利を保障する一方で、義務に関する規定が少ない。これが利己的な風潮に繋がっているのではないかと懸念している」などと憲法改正の機運が高まる今日に権利と義務について頭を逡巡させている今日。

新聞をとろうか迷っているところ。でも新聞販売に未来なし。

紙の新聞など終わった…と思ういまどきの若者(と言うほど私は若くない)なのだが。

思い切って新聞やテレビを断ち切って喜んでいる有識者もいる。

テレビや新聞が低迷を初めてからのことだが、、、

こんな無駄なものを排除しないなんてバカなのだと、
マスメディアと距離を置いて経済的に軽くなったのを、
一生懸命に自己肯定しているのかもしれない。

昔からだが私は一般常識が無いと言われるので、
少し一般常識を頭から学びなおそうと思っているのだが、
良い方法が思い浮かばない。

1つ確かなもっともらしい方法は日本経済新聞を読むことではないか?と思っている。

最近思うことは、
新聞を捨てていいのは新聞にこてこてに染まったご老人だけであって、
常識しらずの私にはいい型を得るための共通バイブルなのじゃないかと。

自分でも語彙空間が歪んでいると思うので、
矯正のために必要なのではないかと前々から思う節があったが、
そろそろラストチャンスなのかもしれない。

新聞を読み続けてすぐには効果が出ないと思うが、
分からないことを調べ続けて連続して情報を吸収して行けば、
それ相応に見えないところで割と真っ当なビジネストークが、
むくむくとジェネレートされて自分の口からアウトプットされるんじゃーなかろうか。

ただ日本経済新聞が高いので東京新聞でいいかなぁ…と、少しでもケチりたい。

【参考】
あなた、新聞にいくら払っていますか?

※1000円で新聞を読めるのか!と驚いたが、こんな裏側は見たくない。。うまくやれば値切ったり…洗剤とかいろいろともらって新聞を購読できるのかもしれない。そういえば私の父親がころころと新聞を変更していたが、販売員が色々とお土産をくれるが故の乗り換え。本人はどんな新聞でも読めればいいというスタンスだから、販売員のお土産目的でころころと新聞を読み変えていく。これは悪循環ではないか?

新聞配達という終わったビジネスモデルをぶり返すには、新聞が無いとダメという人に危機感を突きつけなければダメだよね。危機感を募らせてのセールス…難しそう。新聞販売に未来はやはり無いと思う。

【参考】
新聞定期購読比較ランキング[東京地区編]

読むなら日経新聞か東京では安い東京新聞かなのだが…東京のことに詳しくなれるかもしれないがビジネスの視点と言うなら日経を外せない。いっそのこと両方っていうのもいいのかもしれない。たぶん配達する拠点が一緒だが2つ頼むとだいぶ安くできるはず。でも…そんなはじめからガッツり新聞を読んでもしょうもないような気もする。難しいところである。