月別アーカイブ: 2014年3月

消費増税 消費税増税 違い

消費増税、ついでに言うと、所得減税という言葉、なんか変な気がする。そのまま読むと消費が増えている税というあべこべで意味がとれないではないかと思ってしまう。

正しくは、消費税(の)増税である。

さきほどコンビニで貼られたラベル「消費増税の前に買物を!」というスローガン(?)に流されたわけではないが、ちょうど風邪ひいてティッシュが入用だったので、まとめて買ってしまった。これ、新聞社の見出しで長くなるのを抑えるために作られた造語らしい。分かれば何のことはないが、日本語のつくりからして不自然だ。新聞社の見出しで使うものを言葉として使うのはいかがなものか。時の言葉だし誰もがわかる言葉だからこれはこれでいいのかもしれないが、言葉の意味を正しくとらまえて、言葉を正しく使おうなどと言っている輩は、自然言語において自然に読んで意味がよくわからない言葉について、厳しく言及してもいいのではないだろうか。古くからの定義に固執するよりも、そのへんを無視するのはよろしくない。ネットでは検索エンジンを使用してどちらの言葉が多いか調べた人がいるらしいが、結果として消費増税よりも消費税増税の方が使用例が多いそうだ。当然であるが。。。

見出し語を短くする言葉として新聞社が定義したのであれば、新聞社が公式にこれは見出し語であって口語で使うべきではないと表明したほうがいい。もちろん、本文でも使用するべきではないが、日経新聞が普通に文中で使用しているので、別にそういう制限もないらしいから、わかってて無頓着なのだとしたら言葉を正しく使うという美学を蔑にしていないだろうか。みんながそれとなくわかるからいいということだろうか。メディアがどうとかいうどっかの現代文を教える教授がおおきなお世話で誤った言葉/乱れた言葉を正す寄稿には、あまりどうとも思わないことも多いが、これは気になる。だれが言及してもいいのだが、いわゆる文士ならば気にしてしかるべきではなかろうか。

消費税増税と正しく言おう。

リストラはヒューマニズムである

下記の記事を読んで、やはりリストラはヒューマニズムであると、わかった気になって言いたくなった。

解雇はその人のためになる
business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121012/237990/?n_cid=nbpnbo_leaf_kbn

雇用機会を増やして流動性を高くし、働きたくても職につけない人を今以上にコストが掛からない方法で救う受け皿(セーフティーネット)をつくることが前提であるが、もっと転職をしまくってもいい社会にしたほうが世の中のためではないかと思う。

実際に、自分より若い人に「もっと転職しろ!」なんて言えないわけだけど、わりと転職をしてきちゃった自分としては、もっと社会を見ていればこの人はもっとおとなになって、もっと自分が特をするような生き方ができるのになぁと傍から見ていてそう見える、若者が多い気がするのだ。

もっと尖ったエッジの効かせ方がうまい若者がいるといいのだが...と思い出したらおっさんで、自分なんか年上の人に嫌われる典型的なやる気がない、もしくはやる気が空回りして信用されず周りも暗くするトラブルメーカーなのは脇においておいて(うわぁ。文が読みにくい)。

いろいろと外で経験を積む人もいれば、経験と捉えず自信を無くす人もいる。自社の文化や仕事のノウハウを身に付けた者を残すことが経営の最適化ならかってにやればいいが、人間は企業の切り離し可能なモジュールなのであって、もしなんかあって会社が倒産したりした時に、その従業員が、ただ1社で通用する人材になっているのは、その社員にとって不幸極まりない。であれば、いい意味で取り換えの聞く汎用的な人材にすることが会社の従業員に提供できる幸せではなかろうか。だいたい、1社で通用していたら別の会社でも通用するはずだ「通用している」というより「通用させていただいている」くらいのもので、サラリーマンの能力なんてたかが知れている部分だって多い。

そういう意味で、自己の優位性は、知識に裏付けられた経験こそが、最大の個人の優位性なのである。

(まとまってなさすぎるけど、POSTしてしまえ!!)

プラズマ乳酸菌の水が微妙

KIRINが発売しているプラズマ乳酸菌の水。

プラズマという言葉自体は物質の第四の状態のことだが、プラズマクラスターとかいう疑似科学や、浮遊霊の正体がプラズマだとか言われるせいで、物理学をガチでやっている人でない私には、それだけでとても胡散臭いものに思えてしまう。実際にはプラズマ上のものなんてくさるほどあるし、宇宙に行けばプラズマ状態のものはむしろ個体や液体や気体のものより多いらしい。で、結局プラズマってなんなのよ。わからない。4月から休みたくない人にはおすすめとかいうキャッチフレーズも微妙。4月1日から休んでハワイに行きたい。

evernoteとdropboxによる仕事術

クラウドとかいう言葉には懐疑的であるが、evernoteとdropboxで仕事が終わると思うこのごろ。基本的にlinuxへsshして作業することが主業務なので、PCは極めてシンクライアント的で構わない。(とは言え、CPUが弱かったりメモリが無かったりすると回線速度も出ないから、削れるのはハードディスクだけなんですけどね…という点から考えると喫茶店で仕事をするならば、MBAが最強ということになるのは、ちょっとノマド肯定論者っぽくていやだったりする)

けれど、あんまり両者を使っていなかったりする。

とにかくExcellは捨てたい。

テキスト大好きv

google翻訳の機能をブログにすえつけました。

結構手間がかかる作業だと思っていたのですが、簡単にWebサイトへ翻訳機能が付けられるとのことだったので、つけてみました。

メタタグとディブタグを1つづつコピペするだけ。ちなみに1ページに1つのようで、↓ここに表示されると右プラグインのところには表示されないし、以下に表示されると右プラグインのところに表示されない。javascriptでそういう仕様なのだからしょうがないのかもしれないけど、ちょっと残念。。

イディオムやスラング、日本語で言うところの慣用句やことわざなどの文化を背景とした比喩を使わない意味で簡単な文章であればそこそこ意味がとれるように変換してくれるのは大変ありがたい。正しいかどうかわからないが自分が書いた文章あそれっぽく英語になっているのを見るだけでなんだかほほえましい気持ちになる。

※単純バカですみません。

あなたもWebページをつくったらグローバル対応にするために翻訳機能をつけてみてはどうだろうか??

取調室の中の正義

袴田事件なんてあんまり知らなかったのだけど再審がはじまったらしい。調べてみると実に興味深い事件であると思った。

取調室の職務に就いている人はなぜ残虐になれるのであろうか。そうすることによる彼らにとっての正義とは何か?

職務の正当性は何か?気になってしまう。袴田さんというと、教習所にそういう名字の人がいて、すごい怒られたので、その人を私は思い浮かべてしまう、どうでもいいことだが。袴田巌さんもひどい仕打ちをうけて「これはたまらない」と勢い余って自白してしまったように見える。最近だっけ、、無くなったリクルート創業者の江副浩正も肛門に棒をつっこまれたりして辱めを受けた。司法の闇も根深いが、その権力の背後にある人間性なき組織的な機械と化したモノがいったいなんなのか私には気になる。

※袴田巌と江副浩正を比べるのはおかしいかもしれませんが、それぐらいしか今のところ思い浮かばない/知らないだけです。

where is justice ? 英語版もあるのだね。

マインクラフト病だと思う瞬間

・駅前を歩いていて、あのビルの景観をつくるにはどうやればいいのか?どれぐらいかかるか?を考えている俺がいる。

・パズドラをやっていて、消したパズル玉(?)の奥に立体のブロックがないの何でだかわからなくて気持ちが悪い。
 パズル玉は3Dではないのか?などとどうでもいいことを考える。

・ビルを見て中の空間がどういうふうにブロックが並べられているか想像してしまう。

・Microsoftという単語をMinecradtに空目した。

…いまのところこれだけ。

企業名についているincとは何か?

Q:incとはなにか?

A:Incorporatedの略で「法人化された」という意味。Corpとあまり意味は変らないらしい。

アメリカやイギリスではこういったものを付ける義務があるので、国際的な企業だとつけられている可能性がある。

※ちなみに、カンパニーは「共にパンを食べる人=仲間」という意味らしい。

参考:markresearch.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/corp-inc-co-ltd.html

責任論。責任が無ければ時間も無い。

ある人が、日本の未来を責任を個人が負いましょうと言っていた。

私にはよくわからなかった。

日本の責任を私が負わないといけないことも、
私に責任があるかどうかもよくわからなかった。

日本と言う概念や自己という概念に責任を負うとは、
何であって何を根拠にそうすればいいのだろうか?

一般には、個人というものには責任が絡められる。

なぜだろうか?

私は前まで、個人に責任を負わせないと、
誰のせいにもできなくなってしまうから、つまり、
スケープゴートとして責任を負わせないと社会が機能しないと思っていた。

その見解は完全に外れというわけではないが、
それでも結構外れていると思っている。

本当は、個人に責任をかける理由は、
全体の責任を明らかにするためなのである。

グループ、そして、組織、それは地域かもしれないし国や会社かもしれない。

個人に責任がないとなると、
何が同時に起こるのかというと、
グループ全体に責任がないということになる。
誰も責を負わないのだから当然だ…つまり、
責任という言葉の意味が消失する。それはつまり、
世界は無秩序に何の因果関係も無いようでいて、
また同時に決定論的に動いているのと同じという、
矛盾にまったく無自覚になる。

論理の歯車が外れる。

作用に無自覚になり時間を見失う…
…責任が無い者の世界には時間も自己も存在しない。

何時までに何をする必要も無く義務も権利もない。
責任とはセパレーション(区分)である。

区分を完全に取っ払うと世界に論理が無い、そこには、全体しか広がっていない。

社会の秩序の為に責任は自己に懸かるのである。

自己の責任を他人に依頼するからこそそこに正当な人間関係が生じるのである。

人間関係と時間というセカイが責任によって生まれるのである。

社会人に責任があるのではない。

責任があることによって社会人になるのである。

責任制という制度が先にあると思ったら大間違い。

ランサーズの徒労感について。

ランサーズって面白いと思ったんだけど使ってみると徒労感が半端ない。端的に言うと、仕事の依頼する側が偉すぎて、仕事を受ける側がどうでもいい扱いにされる。というのも、コンペ方式でもプロジェクト方式でも、こっちから猛烈にアプローチしているのに、落選したらなんの声掛けもない。価格なのかサービスなのかそれとも別の理由なのか「なんで私に依頼されなかったのか」まったく明らかにされないので、今後の改善がしようもない。私なら改善で済むし文章を書くだけだが(文章を書くのも結構な労力だが)、ロゴデザインなんてやっている人は半端ない徒労感だろう。あり合わせの絵を組み合わせてクライアントの要望に応えるなどの効率化はされているとはいへ…。とにかく自分の価値を上げる方法が難しい。もちろん、ないわけではないけれど、売れっ子になる工夫が必要だとみた。はじめのうちは小さい仕事でもやって評価を上げるとか、認証系はすべて済ますとか、他の方とのプロフィールやポートフォリオで勝つまたはトントンにならないとお話にならない。活用の仕方を考えよう。(まあ、出会いの場と割り切る方法もなきにしもあらず)