月別アーカイブ: 2016年4月

カルト教団に消されたい願望ある人いたら協力してください?

最近というか前からですが、意図的にカルト教団のページにブログリンクを張っています。

リファラー情報をとるか、被リンクカウントのツールをつかえば、どこのブログでリンクされているか相手にはわかります。

静かに消されていたらご愛嬌(何)交通事故(ひき逃げ)に遭ったとか、誰かに尾行されたとか、今のところないです(苦笑)

面倒くさいことに巻き込まれて命を落とすか警察沙汰になったら面白いというか、本当はそんなことに巻き込まれたらいやなのですが、いやよいやよも好きのうち。自業自得と笑ってくださいませ(何)

よくネットストーカーにあったとか言っているキチガイさんいますが、あれはほとんどがカマッテちゃんの嘘だと思っています。相手の利を害するか、恋仲になって相手が裏切らぬ限りは、執拗に追い回すコストをいくら真正のカマッテちゃんでもかけてきません。

ITの危険ビジネスやったらだいたい損害賠償請求かヤクザか警察かとにかく巻き込まれるんすが。

うちの細君に、「死んでもいい?」と聞いたら「いい」という。

じゃあ、「警察つかまってもいい?」と聞いたら「ダメ」という。

うーん。

解せない。

とおりゃんせ、とおりゃんせ、ここはどこの細道じゃ?天神さまの細道じゃ?

いきはよいよい、かえりはこわい。

読んでほしいところを太文字にしてフォントを大きくして文を読みやすくする。

最近、ブログの書き方を少し変えました…と宣言するほどのことでもないのですが、よく読まれる記事は、加筆したりしていますが、その時に、重要な個所をstrongのタグで囲って太文字にしています。ただ、それだけだと可視化しにくいというか、目立たないので、文字を大きくしたり赤くしたりしています。新しい記事でも今後そうしていこうと思っています。後で自分が読み直すにせよ太字のところだけ読むと要旨がわかるので、時間がなくても文意がとりやすいわかりやすい文になります。つらつらと書いている文のほとんどが無駄でいらないノイズみたいなものなのだなという自覚も生まれます。ノイズを無視して文章が読めるなんてすばらしい。(自分で自分の文をノイズといっちゃったよ。。。

【筆者が要旨にマーカーすればよい】

よく学校の科目としての国語で、筆者が言いたいことを要約せよ!という出題があります。

書き手の意図を正しく理解するということや、短くそれを他人に説明する能力が身につくのですが、はじめから筆者がいいたいことを太字で書いておけば親切なんじゃないかと思います。たまに教科書にマーカーしてくださいとか言って書かせる教師がいましたが、マーカーし過ぎてよくわからなることがあります。そんなことするより、筆者が言いたいことを前もって筆者が太字にすれば間違いはないし親切だと思います。

そういえば、この手の国語の出題はおかしいことが稀によくある(ブロント語)。

それは筆者がもっとも言いたいことじゃあないのでは?なんて質問して国語の教師とよく問答になることがあった。それも防げます。

問答した挙句、教師が学習指導要領にそう書いてあるんだ!と言い出す情けない事態にもなりました。

学習指導要領=作者の意図ではないのですが…。

それ言ったら教師として負けなんだが…。

できる国語教師ならば「○○くんの意見は、文中に書かれていない△△の部分が根拠ない推論になっており、それは答えにはならず□□というのが正解なのです」と言えないといけません。それが言えないなら読解する問題として失敗した問題か教師が説明能力ないので教師やめてください。世間のため。

国語の入試問題とかだとさすがにそういう屑読解問題がまぎれこまないようになっているのだけど、バカな国語教師が勝手に問題をつくると、ほんと意味がわからないのがたまに紛れ込む。

…このように面倒くさいことにならないためにも、重要なことは太字にする。または色付けやフォントサイズを大きくする。公文書でもそうやって読みやすく情報を伝えやすくしたらいいのではないか。メリットがたくさんあって、デメリットがないと思っています。

もちろん、文が矛盾していたり、要点でないところが太字だったりすると、逆に読み手は混乱するので、結局は補助線的な役割しか担えないことも事実なので、あくまで文章を書く人の善意で有効に使用することが大切ですけどね。

【統一教会の原理講論のマーカーはよくできている】

私がもっともこのマーカーを施している文章で面白いと思うものに、統一教会の原理講論があります。

創造原理

本書の最も核心的内容にまず注目しようという読者は、赤色の線に従って読めばよく、もう少し詳しく知りたい方は、赤色および青色を、さらに関連して知りたい方は、黄色を読めば大概を理解できます。そして内容全体を知りたい方は、色にこだわらず、順序どおり全文を読んでいけばよいようにつくられています。

まあ読んでみて、矛盾だらけでくだらない駄文だと思うか、文鮮明こそが救世主だ!と思うか、それは責任もてません。マーカーの入れ方がうまいかどうか、文章がうまいかどうか、これは別にして面白い書き方しているカルトのバイブルだなと。

ブログネタは足で稼ぐ?

人はなぜ非科学的詐欺を信じるのか?

人はなぜ非科学的詐欺を信じるのか?

↑以前のこの記事で、非科学的詐欺とかよくわからない言葉をつかってしまいましたが、世間的には偽科学といわれているようです。この偽科学とか詐欺に騙されるのは、理科や経済/金融の知識とかよりも、モラルとか常識の背景にある他者への猜疑心…いわゆる、うまいはなしなんてないんだよ!ってことを知っているということに尽きます。

そのネタになったのはこのtogetterの記事です↓

偽科学やデマに引っかからないポイントってなんだろう?
togetter.com/li/943681

最初の方しか読んでませんけどね^^;

うちの細君が、ブログネタは図書館の本から探しているの?とか聞いてきましたが…たしかにネットにない知識を得るのに本は便利だし、ネットのキュレートされた情報よりは裏付けがとれている情報も多いので、ネタをさがしたり間違った知識の補正や無い知識の補完に活用していますが、別に本の知識だけで書いているわけではないのですよーという話をしたかった。

ネタはだいたい…

ネット+本+知り合い+足

この4つにわけられるかと。

個人的には、メディア-記者であるならば、当たり前なこの「足で稼ぐ!」という、この自分の体験談の部分をもっと伸ばして、記事に独自性を出していかねばならなんだーと最近よく思っています。このブログの記事もどれくらいの量になったのかわかりませんが、よく読まれる記事の傾向がつかめてきました。自分に他人が持っていない体験があるほうが、やはり面白い人が興味引く記事になる。

まあそれでも、人が求める独自性とはネットの情報でも組み合わせ次第でつくれます。独自性を出すためのコストは別にそれほどかからないということ。とくに人が知りたがっているけどネットにない情報をネットの情報だけで作り出すことでPVは稼げます。うまくやらないとパクりだとか騒がれる可能性はありますが、すでに話題になっていることを自分で脚色して火がつくように改変する編集能力と再投下するタイミングやメディアを考えれば、そこそこやっていけますね。

あとはポリシーの問題。好き勝手やるだけではなく、ターゲットを絞って徹底的にやること。マーケティングの基本ですね。私はつまらなくなることは、ここではやりませんが…。

…というわけで、駄文でした。

ページランクが非公開になっていた。

SEO対策について、

ある人にページランクの説明したのだが、ページランクそのものがもう廃止/非公開になったらしい。。。

まだ重要な概念としてサイトのランキングを決める値として一応は残っているというもののワードサラダを使った被リンクサイトをジェネレーションするSEO屋が増えてしまい単純にリンク数を数えただけでは評価ができなくなった。

不自然な自然言語の文章が掲載されているWebサイトを統計的に見つけ出すなどのGoogleのアルゴリズムを出し抜こうとするブラック・スワンな不自然なオプティマイズを見抜くほうがずっと重要なのだろう。

ちなみに、ページランクのページとは、Webページのことも含むと言っているひとがいるが、Webページのことではない。たんにラリー・ページ(ペイジ)さんが発明したランク値だからページランクなのである。エンゲルさんが発明した係数だからエンゲル係数、ガウスが創りだした関数だからガウス関数、フーリエさんが変換したからフーリエ変換、ド・モルガンさんが見つけた法則だからド・モルガンの法則、アボガドロさんが見つけた定数だからアボガドロ定数という。それと同じノリで名付けたものである。言わせんな恥ずかしい。プログラマのまつもとゆきひろが自分で作成したプログラミング言語にまっつん!とかつけなかったのは本当に素晴らしい。(何

で、完全に話がそれたわけだが、そのページランクが非公開になった。

優れた論文に引用されている論文は素晴らしい。つまり、人で例えるならば、有名人に紹介される俺は有名人かもしれない的な話である。まあもちろん、有名人だからといって優れているわけではないので、人の場合が確かだとは言えないが、確率的に逆算して結果を求めるのがベイズの理論なのである。

ここに1つビジネスチャンスが眠っていると思う。

まあ、あれほどGoogleを真似るまたはあやかるまたは出し抜くなんてするなと言われたが俺には無理そうだ。。

Amazonで購入したファイアースターターが一ヶ月以上経過しても届かない件。

こちらに経緯を追記しました。

マグネシウムファイヤースターターが届かない!

47.9%の確率で関税を通過するらしいので、

届くまで催促し続けますよ。コココココ。

私にはファイアースターターが必要なのです。

火がつけられなければご飯も焚けませんからね。

飯を食わねば戦はできぬ。されど、武士は食わねど高楊枝。

※王騎将軍が死んでからキングダムを読む気が完全に失せましたwww

今はそんな時代じゃない

「今はそんな時代じゃない」という人がいる。決まって昔と今は違って封建社会じゃないのだ!という文脈で、勝手に現代の擁護者として代表として発言しちゃって、いい気になっている奴が吐く。正統派の有名人がいい気持ちになって言う。デラックスマツコも言っていた。こうなっちゃあおしまいだ。正論を吐いている。そのつもりが足を掬われるぞ。嘘もまことしやかに囁ける。

時代はかくあるべしという思想を押し付けて人を裁くことが言葉の機能であるとするとそれを私は残念に思うのである。

死ぬ気でやれよ…死んでないじゃん。死ぬ気でやってないだろ。

死ぬ気でやれよ。死なねえから。

これは、(それなりに若くして)死んでしまった杉村太郎という人の言葉だと私は思っているのだが、hideの言葉だとか、BUMP OF CHICKENの藤原基夫くんの名言だとか言っている人がいて、色々とやってられません。

死ぬほどやって死んでしまったら、死ぬほどやって叶わなかったら、そんなことを考えているうちは、死ぬ気でなんてとてもできません。

人はなぜ非科学的詐欺を信じるのか?

人はなぜ非科学/詐欺を信じるのだろうか?

これに対して、私はこれまで、科学を知らないから詐欺にあうのだ。それゆえに、もっと理科をしっかり勉強したほうがよいと思っていた。

だが、これは間違っていることに最近あるWebのエントリーを読んでいて気がついた。

そういえば、理系の大学院を出た男や医師がマルチ商法をやっていた。マルチ商法は詐欺ではないが、詐欺的な方法(特定商取引法違反や薬事法違反をあきらかにしたまま)アムウェイをやっていた。

彼に「それ非科学的だし、同一条件ではないサンプルを比較しているし、根拠ないプレゼンですよね?」と言ったら怪訝な顔して「無添加でいいものを使いたいですよね」とわけわからんことを言って逃れようとしてきた。

自分が非論理的であることに何の疑問もいだかない。

まともそうな顔をしたキチガイとは結構いるのだなと思った。

他にも聞いたことある私立大学で理系大学や経済学を専攻した人に会って話をしたが、まるで知識がなかったりする。まあそれは違う話題だが…

とにかく、一般レベル以上の学識や知識があっても、非科学と詐欺にあわないかというと、そうではないのだ。

理科を知っていれば騙されないから理科を学ぼうというのは方法論に過ぎないということだ。

科学を知らなくても非科学的な詐欺にひっかからない人がいるし、科学を知って詐欺をする人も詐欺る人もいる。

ついでに言うと金融論なんか知らなくても投資詐欺やマルチまがいの詐欺に巻き込まれない人がいる。私も別に詳しいというわけでもないが、特別に大きな被害にあったことはない。

詐欺師に騙される人と騙されない人はいったい何が違うのだろうか?

答えは簡単で明白だ。

おいしい話をもってくる人を信用していない。または、うまい話があるわけがないと思っていること。これに尽きる。

単純に人を信じるから騙されるのである。

人を信じないといけない時もあるが、それは往々にしてそう多くない。というか、相手が何を目的に何で言っているのか、それさえ整合性がとれていてはっきりしていれば、短期的に騙されることはあっても、長期的に騙されることはない、つまりリスクを最小限に抑える思考がはたらく。人間なんてほとんどがポジショントークしているのである、ということを見抜く目があればリカの知識はいらない。

科学的な知識の必要性を低めるきはないのだが、うまいことを言ってくる人を見抜く人間を見る力のほうが人間生きていくにあたってずっと重要なことなのだ。

--

また、騙された!と被害を口にする人がいるが、騙される側にもやはり問題がある。

アムウェイの詐欺師にも言えることだが、詐欺師に騙されると、その人も詐欺師になる。他人の言っている嘘を真実だと思っているやつは、同時に、自分がつく嘘を真実だと思って喋り出す。キチガイはキチガイを呼ぶのである。目が見えず泥沼に嵌まる者に手を引っ張らて任せている者は同じく泥沼に嵌まるのである。オウム真理教を騙されていた!とか言って憤っているやつやL&Gの円天に騙されていた!とか騒いでいるやつは詐欺師同様に卑しい…そんなことより世間様にお詫びしろとは言わぬが、恥ずかしい騙され方をしたと戒めを誓う気持ちがないとダメなんじゃなかろうか。

詐欺被害者は詐欺師同様の詐欺師である。

無論、そうではないこともあるのだが、詐欺だ!何だ!と騒いでいる相手は相手にしないほうがよい。被害にあっている人は可哀想ではあるのだが自業自得以上の危険さをそいつも兼ね揃えていることをお忘れなく。なんせ非論理やリスクを見抜けていないのだから。騙される人間も、自己の非論理性や無知に目がいかない、自己の欠点を検証できないキチガイである可能性が非常に高い。ヘタしたらそいつの言葉にユーも騙されているかもよ?

キングダム14巻を読んだ

さーて。

趙との戦争なんだか面白くなってきたが、やはりベルセルクに似てきたなっととらえている。

似ているという人もいれば、全然似てないよと言う人がいるかもしれないが、きょうかいがキャスカにもグリフィスにも見える。

きょうかいが信の剣頭にのって勝ったのは、グリフィスもガッツに対してやっていたし。(それだけ?

武神ほうけんの化け物さはその性格まですべてゾッドを彷彿させる。

いろいろなキャラが動き出して、キングダムの一番いい時なんだと思っている。

しょうもうは憲法殺しのハート様に見える。

デブはまあまあ強くても最強には絶対になれるはずがない。

そんなのははじめからわかっていた。さもありなん。。

おうき、もうぶ、ほうけん、この3名の力がまだよくわからない。

みんな最強であって欲しいので格付けされないでほしいくらいである。

ちなみに尾兄弟は男塾の田沢と松尾に見える…到が田沢…彼の死が今のところキングダム史上一番ジワリとくるお涙頂戴場面であった…庶民が歯を食いしばって果てるというのがやはり美しいというか自分にとって現実味あることだからだろうか?